2013年1月13日日曜日

八重さんの足跡を追う

第1回冒頭で、砲弾を潜り抜けてスペンサー銃で応戦していた八重さん。
大河史上数多のヒロインがおりますが、おそらく八重さんが最も勇ましいヒロインになるのでは・・・という予想はさて置いておきまして。
あの八重さんがいた鶴ヶ城北出丸について、ちょっと探ってみました。

大きな地図で見る

地図のAの地点(武徳殿と書いてある場所)ぐるっとお堀で囲まれた部分が「北出丸」です。
冒頭の八重さんが薩摩の隊長を仕留めたのがココ。
もう少しズームアップしてみましょう。

右上に焦点を置いて少し拡大してみました。
拙い図で申し訳ないです(汗)。
赤い矢印がとんがりコーン・・・じゃなくて、薩長連合軍の進軍経路。
青い丸印が、それを迎え撃つ会津藩籠城兵が配備されていたところ。
八重さんがいたのは北出丸ですから、一番左上の青印部分で撃っていたのですね。
この北出丸は、鶴ヶ城の追手門(いわゆるお城の玄関口)がありましたので、敵の侵入を許すわけにはいかないのです。
よって、上図を見て頂いてもお分かり頂けるように、侵入しようものなら北出丸・帯廓・伏兵廓の三方向から集中砲撃を受ける形となっておりました。
それ故か、北出丸の別名は「みなごろし丸」と言います。
実際、会津は薩長の兵のここからの侵入を許しませんでした。
会津藩降伏の際、降伏の白旗が掲げられたのもこの北出丸です。
「八重の桜」の影響もあって、今年は会津に足を運ばれる方が多いと思いますが、鶴ヶ城に行かれた際には、是非とも八重さんのいた北出丸にも足を向けて頂きたいものです。

ではでは、此度はこのあたりで。


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